2期OB 藤野英人氏インタビュー

隣国とコミュニケーションを絶やさない大切さ

2022年2月10日(木) 
(聞き手:第41回日中学生会議実行委員 今井美佑/山下紗季/徳永潤/勝隆一/ 曹可臻/上野祐香)

今年で41年を迎える日中学生会議。日中関係が複雑な今、私たちは中国とどのように向き合う必要があるでしょうか?日中学生会議の基盤を作った2期の参加者である藤野英人様に当時のご参加経緯やご経験、若者へのメッセージを伺いました。

藤野 英人 (Fujino Hideto)

第2回日中学生会議(中国開催)参加者。野村投資顧問(現:野村アセットマネジメント)、ジャーディンフレミング(現:JPモルガン・アセット・マネジメント)、ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントを経て、2003年レオス・キャピタルワークス創業。中小型・成長株の運用経験が長く、ファンドマネージャーとして豊富なキャリアを持つ。「ひふみ投信」シリーズファンドマネージャー。投資啓発活動にも注力する。JPXアカデミーフェロー、東京理科大学上席特任教授、早稲田大学政治経済学部非常勤講師。一般社団法人投資信託協会理事。
参照:レオス・キャピタルワークス 役員紹介

日中学生会議へ参加されたご経緯

 

本日はよろしくお願い致します。早速ですが、藤野さんが第二回日中学生会議に参加された経緯や動機について教えて頂けますでしょうか。

 
 

日中学生会議への参加は私にとって人生における大きなきっかけのひとつとなりました。この会議に参加していなかったら、今の自分はなかったのではないかと思います。
そう思うのには二つ理由があります。一つは、日中学生会議の活動そのものを通して自分が成長したということ。二つ目は、実際に中国に行ってよかったということです。
大学は早稲田だったのですが、初めの二年間は志望校に落ちた気持ちを引きずったまま、ぼんやりと過ごしていました。高校時代までは成績は抜群によかったのですが、大学では勉強をしなかったものだから、当然成績もパッとしなかった。そのような時に、大学の掲示板でたまたま張り紙を見つけました。『第二回日中学生会議、参加者求む』と。『渡航費無料』という文言に惹かれました。そして、『北京大学、清華大学の学生と議論できる』とも書いてありました。その後に運営委員の面接を経て、参加が決定しました。

 

☞営業から始まった日中学生会議

 

ありがとうございます。当時の日中学生会議活動内容はどのようなものでしたか?

 
 

最初に運営委員から、「これから営業に行くぞ」と言われました。「営業って何?」と思いましたね。『渡航費無料』と書いてあるから来たのに。運営委員が言うには、「財団に営業して無料にする」と。正直びっくりしました。当時はメセナ(企業による芸術・文化への支援活動)が盛んだったという背景があります。営業というのは、そのような企業・財団を相手に資金援助のお願いをするということでした。騙されたと思って運営委員に文句も言いましたが、結局割り当てられた企業に営業に行くことになりました。プレゼン資料を作って営業に行くのですが、実績も何もない私の話を聞いてくれる企業はありませんでした。何度も断られて心から落ち込みましたね。私が参加したのは第二回だったので、第一回はどうしたのだろうと気になりました。実は第一回は、仲の良い人たちで集まって、中国に行ったに過ぎなかったのです。つまり、我々第二回が、実質的には第一回のようなものだった。また騙されたと思いましたね(笑)なので、第二回の運営委員には、ベンチャー気質の人が集まっていました。結局、メンバーの一人が三菱銀行国際財団から資金援助の約束を取り付けてきました。なんと、年間300万円を10年間です。そのお陰で、私たちは実質無料で中国に行くことができました。その時に初めて営業って大事だなと痛感しました。また、夢やビジョンを掲げて成果を出し、多くの人に金銭的な援助・応援をしてもらって挑戦するというのはすごいことなのだとも思いました。
お金は集まりましたが、当時は北京大学や清華大学と何の繋がりもなかったので、また一苦労ありました。結局私が早稲田の掲示板で見つけたあのポスターに書かれている内容と実情はたいそう違いましたが(笑)、結果的には『渡航費無料』も『現地の大学生とのディスカッション』も、全て自分たちの力で実現させることができました。僕は現在ベンチャービジネスを経営しておりベンチャー企業への投資も行っていますが、初めてのベンチャー体験はまさにこの日中学生会議の活動だったと思います。

 
 

中国は私にとって初めての海外でした。初めての海外が中国となったのは、ただの偶然だったと思います。見つけた張り紙が日米学生会議や日韓学生会議のものだったら、そちらに参加していた可能性もあります。だから、当時の自分にとって、場所はどこでもよかったのだと思います。何か人生を変えるきっかけを探していた時に、たまたま出会ったのが日中学生会議だったというのが正直なところです。

 

☞1988年の中国

 

実際に中国に渡航してみると、とても驚きました。当時の中国は天安門事件の直前で、改革開放による民主化の機運が高まっていました。北京大学や清華大学の学生たちも同様に、民主主義実現に燃えているのを感じました。街の様子はどうだったかというと、やはり今とは全然違います。貧乏というか。人民元を握りしめて、自転車で走り回っているような時代でした。人民元は今でももちろん使われており、デジタル決済の分野では中国は日本を大きくリードしています。当時の人民元は、トイレットペーパーのように質が粗悪でした。なので、円やドルなどの外国のお金が流通していました。今の中国とはかけ離れた姿でしたが、それでもやはり改革開放で頑張っていくのだという活気がすごかったのをよく覚えています。

 

☞生き方に大きな影響を与えた先生

 

中国ではポジティブな意味でショッキングな出会いがありました。それは清華大学の数学科の先生との出会いです。この先生との出会いは、私の人生における大きな財産といえます。

この先生は数学科の先生にも関わらず、筋肉がモリモリで、プロレスラーのような体型をしていました。私はすごくびっくりして、つい、「なぜそんなに立派な体格なのか」と尋ねてしまいました。すると先生は一枚の写真を見せてくれました。先生の若いころの写真です。度のきつい眼鏡をかけた、やせ型のひょろっとした青年が写っており、まさに私がイメージする数学の先生そのものでした。この青年がどのようにして筋骨隆々になったのか疑問が深まりましたが、先生がすぐに答えを教えてくれました。実は先生は、若いころに数学オリンピックのような大会でメダルを受賞したことがありました。そして、そのことがきっかけで文化大革命の時代に西洋資本主義に染まっているとレッテルを貼られ、新疆ウイグル自治区で強制労働に10年間従事することになったそうです。放下期間は数学に触れることを一切禁止され、牛や馬と一緒に荒野を耕し、思想教育を受けたと言います。そして、文革後に清華大学に戻ることができ、大好きだった数学の研究をすることができたと。すごい体験ですよね。
数学の先生でありながら、筋肉もりもりになった理由が分かりました。先生はとてもにこやかでした。「本当に辛く大変な10年だったけど、こうしてまた数学の研究に戻れて嬉しい」と話していました。すごくポジティブな方ですよね。しかしあまりにもニコニコしているので、「なぜそんなににこにこできるのですか」と、ついまた尋ねてしまいました。その時の先生の返事にいたく感動しました。先生は、「え、どうして?君が日本から来てくれたからだよ」と言ってくれました。
私は、「そうだよな。こうでなくてはいけないよな」と思いました。というのも、日本の教育はまさにそうですが、他人と成績を比較する偏差値教育が一つの価値観として存在しますよね。周囲との勉強や成績を基準とした頭の良しあしで序列を決めるといった。しかしこれは社会に出てから気づくことですが、俺はお前より頭がいいといった価値観は、邪魔でしかないのですよね。社会で成功する人というのは、人を幸せにする人。これは当たり前の話なのですよね。あなたが今いるから私は幸せだと言える人の方が、はるかに人として優れていると思います。私は先生の言葉を受けて、いい意味で衝撃を受けました。10年間の強制労働という文革の辛い経験を恨むわけでもなく受け入れ、数学や人とのコミュニケーションを楽しむ。この先生との出会いは私のその後の生き方に大きな影響を与えたのは間違いないです。

 

☞日中学生会議での学び

 

日中学生会議の活動を通して、チームでモノを作っていくことの素晴らしさ、夢やビジョンを掲げて粘り強くみんなで達成していくこと、そして実際に渡航するための細かいオペレーションや現地での学生とのディスカッションなど、すべてがよい経験となった。当時は武漢にも足を延ばした。北京から飛行機を使わず、電車で向かった。沿岸に沿って南下し、揚子江から内陸に入った。杜甫の詩に登場する黄鶴楼にも実際に行って登ったな。当時は揚子江の上流にイルカもいた。川イルカかな。武漢大学はいかにも中国式の大学で、池の中に竹林に囲まれた島があり、そこにピアノを備えたステージがあった。私はピアノを弾くのだけど、そこでヴァイオリンでセッションをしたり、音大の学生の歌に合わせて演奏するといった体験もした。いい思い出です。

皆さんの中にも2回、3回と日中学生会議に関わっている人がいるようですが、私の妹も4,5回日中学生会議に参加していました。当時の仲間とは、卒業してからも連絡をとったりして旧交を温めている。なので、皆さんもこの先20年、30年と共に人生を歩む仲間になるのではないでしょうか。

 

 
当時の写真

☞中国との向き合い方(学生へのメッセージ)

 

藤野さんお話ありがとうございました。実際に藤野さんのお話を伺って、より鮮やかに藤野さんの体験が脳裏に浮かんでくるような、そんな実感でした。
当時は文革直後の中国ということもあり、決してよくはないイメージだったかなと思います。それから3,40年経ちましたが、残念ながら、僕の周りでは依然として中国によくはないイメージを持っている学生が少なくないです。今後私たちが活動を続けていく中でもこのイメージは一つの障壁としてぶつかっていくものかなと思っています。藤野さんなら、そのような学生に対してどのようなメッセージを送りますでしょうか。

 
 

そうだよね。私が中国に行ったときは、やはり発展途上国で、今のように強くて、軍事力があって、経済力があって、怖いという感じではなかった。当時はもっと弱くて、存在感の薄い隣国という感じだった。ただ僕自身はそういうところよりも、中国の昔からの史記とか、三国志とかの歴史が好きで、中国に関しては根本的にリスペクトしていたので、中国から学びたい気持ちを持っていた。でも先ほども話した通り、僕が中国に行ったのは偶然で、もともと国際的な活動もやっていなかったし、初めての海外だったし。私たちが中国に行った後に天安門事件が起こって、大変なことになった。日中学生会議も継続の危機となった。実際に第三回か第四回は天安門事件のせいで訪中できなかった。その時に日中学生会議のメンバーは、コミュニケーションを止めないということを打ち出した。少なくとも学生レベルではコミュニケーションを継続する。人生や社会の利害関係がない分語れる部分がある。このような思いで日中学生会議を継続していた。正直日中学生会議がこんなに長く続くとは思わなかった。当時の僕は、こうして第41回の皆さんの前で話をするなんて夢にも思わなかったと思う。代々バトンタッチをしていって今に残っているのは意味のあることだと思う。なので、中国との関係もこれから10年、20年で色々と変わってくると思うし、イメージも多分変わると思う。
歴史的に関係の深い中国や韓国といった隣国とコミュニケーションを絶やさないというのはとても大事なことだと思う。かつ、嫌いであれ何であれ、知ることが大事。お互いコミュニケーションを止めない。一般レベルで嫌いとなっても、時代はすぐ変わるから、逆張りという面で見ても、中国とコミュニケーションを続けていくというのは価値があると思う。
更に、我々日本人は中国と積極的に交流して、漢字や文化、お金といった面で中国に依存してきた歴史がある。江戸時代までは中国の貨幣が日本でも使われていたりした。明治時代に日本が軍拡をし、西洋諸国が中国を植民地化した経緯から、50年、100年は中国が相対的に弱くなった時代があったが、歴史的にみると、中国の現在の力というのは標準ぐらいに戻ってきた。日本人はしたたかに、強くなった中国とコミュニケーションを取って学んでいけばいいと思う。それは米国相手でも同じ。さっきの話ではないが、頭がよいか悪いか、金を持っているかいないか、技術力があるかないかではなく、商売やコミュニケーションの面でフラットに学ぶ姿勢が大事。どの国に対してもそう。日本人がこのようにフラットに学べるようになったら、日本という国はもっと強くなると思う。フラットな見方をどれだけできるかが大事。

 

☞未来の日中学生会議参加者へ

 

私たち41期も、日中の学生がお互いのことを深く理解することが大事と考えており、藤野さんも同様のことを仰っていたのを聞いて、嬉しい限りです。
最後の質問です。現在コロナ禍で日中の学生がコミュニケーションを取るのが難しくなっている中で、私たち委員や未来への参加者に向けて、応援のメッセージやどのようにして交流を続けていくかなどのアドバイスがございましたら、ぜひ教えていただきたいです。

 
 

まずは、日中学生会議が41回も続いていることを嬉しく思います。日中の間で41回も学生会議が催され、互いに訪中、訪日してきた歴史というのは非常に価値があると思う。そのバトンを繋いでいくことがとても大切だと思います。なので、あまり難しく考えずに、とにかく続けていく。中国との関係が険悪になったり良くなったりは今後も続くと思う。隣国とはそのようなものなので。しかしその時に隣国とパイプを持った人がいないと、解決することも解決しなくなるので、日中学生会議というのは、日中双方向にとって大事な架け橋となる。架け橋として、力まず、長く続けて、価値のある活動を後輩に繋いでいただきたいと思う。

 
 

インタビュー:第41回日中学生会議実行委員会
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日中学生会議とは

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