2023年1月12日 聞き手(張宇新 / 趙嘉納)

参加歴
2012年:第31回参加者(社会分科会@中国開催)
2013年:第32回実行委員(経済分科会@日本開催)
プロフィール・経歴
経営者、インフルエンサー(@mako_63にて深センから発信されています)
同志社大学卒業
大学三年時に一年休学し北京に留学
卒業後ベトナムホーチミンで三年働く
2019年に中古ブランド品を扱う会社を深圳で共同設立
日中学生会議に参加したきっかけ
大学に貼ってあったポスターをたまたま発見しました。当時北京留学から帰国したばかりにもかかわらず中国に興味のある人が周りにいない上に、日本人の中国に対する印象が悪かったので、同じ価値観を持つ仲間を大学の枠組みを超えて欲しかったので応募しました。また、将来中国で働くことを見据えて中国のエリートたちとディスカッションをする経験を早くから積んでおきたかったのもあります。32期の実行委員をやることにしたのは、31期が超楽しく、他の人にも同じ経験をしてほしかったのと、築いた関係を切りたくないと思ったからです。
中国に対する印象
中国に興味を持ったのは小学校の時三国志を読んで面白いなと思ったことがきっかけでした。また、旅行で深圳に行っていたこともあり元々中国に偏見はなかったです。留学時の2011年は、日中関係が最悪な時期でしたが思ったより日本人(外国人)に優しかったです。また中国人は本当に勉強熱心という印象を持ちました。
分科会について
当時は月一で日中に関する広いテーマで課題本が出されて勉強会を開催していました。私は文学部だったため経済理論やビジネスのことはあまりわからなかったですが、勉強会の実施や議論を通じて広く教養を学べました。
本会議中の思い出
一番は同じ分科会の人たちと徹夜しビールを飲みながら毎晩会議の準備をしつつ将来の夢を語り合ったことです。今でもその内の一人は親友です。10年以上経つので本会議よりも本会議のための前準備や本会議中の観光のほうが強く記憶に残っていたりします。あとは幅広い知識を身につけられたことです。
大変だったこと
当時2/3が東京在住者であり、私は京都だったので対面で行われていた分科会の事前準備にほとんどSkype参加だったことですね。コミュニケーションの面でやはり少し苦労はありました。(今ではオンラインが普通かもしれませんが)
他には、広州にいるときに反日デモが発生したことがあります。その時は日本語話さないように、慎重に行動したり、31期の歴史分科会は政治的理由で報告会直前に内容変更したりなどがありました。
日中学生会議での経験がどう生きたか
深センや杭州でも当時のメンバーたちと今でも交流することがあり、現地でとても頼りになっています。もともと中国で事業をしたいと考えて参加したので、今の仕事全体には活かされていると感じます。同期たちが各種方面で出世しているので、いろんな業界の話をヒアリングすることができるのも一つですね。
参加者へのメッセージ
100%の時間を使って中国を学ぶ機会は人生でも留学や中国駐在でもしない限りなかなか得難いはずなので、いろんなことを吸収してほしいです。交友関係広げるなど、将来どうリンクするか考えてみるといいと思います。